松浦律子の仕事

■プロフィール

1943年(昭和18年
東洋音楽学校(現・東京音楽大学)卒業。ウーハー・ペーニッヒ、ニコラ・ルッチに師事。
読売新人演奏会、全日本選抜演奏会に学校代表として出演。
1944年(昭和19年)
東洋音楽学校(現・東京音楽大学)に講師として勤務。
1945年〜1946年(昭和20年〜21年)
NHK「世界童謡めぐり、音楽のしおり、午後のリサイタル、婦人の時間」出演。
1946年(昭和21年)1月
リサイタル「ドイツリートほか」 大牟田市染料講堂
1948年(昭和23年)11月
リサイタル「トスティ、ドイツオペラ、日本歌曲」 大牟田市染料講堂
1949年(昭和24年)ころ
NHKの放送で、日本では未発表のトスティの歌曲を日本初演
1952年(昭和27年)6月
リサイタル「トスティ、現代イタリア歌曲、日本歌曲」 大阪三越ホール
1953年(昭和28年)1月
リサイタル「ドイツ歌曲、日本歌曲」 大牟田市染料講堂
1954年(昭和29年)1月
リサイタル「現代イタリア歌曲、日本歌曲」 京都成安会館
1955年(昭和30年)
世界名曲大音楽会に出演  京都丸山音楽堂
1956年(昭和31年)

リサイタル「現代イタリア歌曲(日本初演)」 東京ヤマハホール

1957年(昭和32年)

東洋音楽短期大学(現・東京音楽大学)の講師になる。

1958年(昭和33年)

東洋音楽大学(現・東京音楽大学)創立50周年記念演奏会:歌劇「アイーダ」にアムネリスで出演。(篠原正雄指揮 東京交響楽団)

1958年(昭和33年)6月

リサイタル「現代イタリア歌曲(日本初演)」 東京ヤマハホール

1959年(昭和34年)6月

リサイタル「現代イタリア歌曲、日本歌曲の夕べ」 東京ヤマハホール

1960年〜1970年(昭和35年〜45年)

蜂の会「名作曲家詩人の集い」に出演(四家文子、関種子、友竹正則の各氏と共演)

1962年(昭和37年)6月

リサイタル「現代イタリア歌曲、日本歌曲の夕べ」 東京ヤマハホール

1963年(昭和38年)6月

リサイタル「現代イタリア歌曲、日本歌曲の夕べ」 東京ヤマハホール

1965年(昭和40年)

名演奏家による名曲の夕べに出演(大阪、京都、名古屋、横浜、九州、岡山ほか)
安川加寿子、服部豊子、鈴木聡、平尾はるな、上野晃の各氏と共演。

「松浦律子、服部豊子、北川暁子ジョイントリサイタル 佐藤敏直の作品」 静岡労音

1965年(昭和40年)11月7日

「青少年コンサート、日本歌曲ほか」神奈川県立青少年センター

1965年、1966年(昭和40年、41年)

レコード大賞審査員

1965年、1967年(昭和40年、42年)

歌劇「フィデリオ」他に出演(OBシンフォニーオーケストラ) 東京文化会館小ホール

1966年(昭和41年)

リサイタル「芸術祭参加 現代日本歌曲初演」 東京文化会館小ホール

1969年(昭和44年)

「松浦律子、内田るり子ジョイントリサイタル 」 宇都宮労音

1971年(昭和46年)

「中田喜直作品プレゼンテーションリサイタル(現代曲、作曲6人)」 東京文化会館小ホール

1971年(昭和46年)5月

リサイタル「現代日本歌曲の夕べ」 東京イイノホール

1973年(昭和48年)

リサイタル「現代日本歌曲初演もの」 東京文化会館小ホール

1983年(昭和58年)11月

リサイタル「現代日本歌曲初演もの」 東京イイノホール

1003年(平成5年)11月2月24日

リサイタル「日本歌曲とオペラ・アリアの夕べ」 福岡銀行本店大ホール

川口耕平、黒岩英臣、九州交響楽団と共演

その他、各学校関係のリサイタルを含め30回以上のリサイタルを開催する一方、放送の分野で活躍。朝日放送の音楽番組、新日本放送の音楽番組「無憂華」に3ヶ月出演。また映画では、東宝映画「捨てねこトラちゃん」服部正作曲、教育漫画映画「三毛」等で主役の歌を担当する。コロンンビアレコードからは、イソップ物語「島ときつね」「ぢゃがいもさん」「かわいいお人形さん」ほかを吹き込み、その中の「ごむまりぽん」と「可愛いお人形さん」は文部省推薦盤となる。

■主な初演曲

石田一郎作曲
しぐれに寄する抒情    佐藤春夫 詩 (1951年)
心の落葉   堀口大学 詩 (1951年)
菊畑    大木淳夫 詩 (1951年)
梨の花とお寺の奥さん    田中冬二 詩 (1952年)
洗い場    田中冬二 詩 (1954年)
の湖    田中冬二 詩 (1954年)
さむい月の出    田中冬二 詩 (1954年)
山の湯    田中冬二 詩 (1957年)
花がちりかかる    城左門 詩 (1957年)
みぞれの小さな町   田中冬二 詩 (1959年)
くずの花   田中冬二 詩 (1959年)
ふじまめの花   田中冬二 詩 (1959年)
秋の灯ともし頃   田中冬二 詩 (1959年)
遠い昔のように   丸山薫 詩 (1962年)
まんさくの花   丸山薫 詩 (1962年)
雪がつもる   丸山薫 詩 (1962年)
山のおうな   丸山薫 詩 (1962年)
山のさくら   丸山薫 詩 (1966年)
しずかな祭り   丸山薫 詩 (1966年)
きつね   丸山薫 詩 (1966年)
とある日   中田浩一郎 詩 (1963年)
あの人は   中田浩一郎 詩 (1963年)
夢二の女   中田浩一郎 詩 (1963年)
雪がふる   中田浩一郎 詩 (1963年)
春の感傷   中田浩一郎 詩 (1965年)
藤の花   中田浩一郎 詩 (1965年)
美しき夕暮れ   中田浩一郎 詩 (1965年)
晩禱   城左門 詩 (1973年)
沙羅の花   芥川龍之介 詩 (1983年)
秋の夜   田中冬二 詩 (1983年)
菅野浩和作曲
バラード「三面鏡」
ひとりごと/しのび笑い/横顔   中田浩一郎 詩 (1959年)
三つの歌
花屋/つぼみ/草の実   羽曽部忠 詩 (1959年)
福島雄二郎作曲
素朴なる感情   原田久 詩 (1960年)
夕方   ほか4曲   原田久 詩 (1960年)
啄木のうたより 第3集 我を愛する歌
Ⅰ 砂       いのちなき/頬につたふ/砂山の
Ⅱ さいはての町      さいはての/わかれ来て/世の中の
Ⅲ 終曲    なにか、かう、/いつとなく
石川啄木 詩 (1993年)
中田喜直作曲
鴉       町田志津子 詩 (1960年)
ひなの日   堀内幸恵 詩 (1960年)
サルビア   堀内幸恵 詩 (1960年)
こんな気の滅いる夕方   堀内幸恵 詩 (1961年)
岸辺の二人   武村志保 詩 (1962年)
なにかがむこうに   みついふたばこ 詩 (1962年)
秋に   堀内幸恵 詩 (1966年)
げんげの花咲く道   堀内幸恵 詩 (1966年)
柿の実   堀内幸恵 詩 (1968年)
おかあさん   堀内幸恵 詩 (1968年)
こんなにかるくなって   桜井勝美 詩 (1968年)
タマゴ   青田光子 詩 (1968年)
清瀬保二作曲
巣を失った雀   郭沫若 詩 (1965年)
私が一番きれいだった時   茨木のり子 詩 (1966年)
塚谷晃弘作曲
いつも風が吹いていました   中田浩一郎 詩 (1965年)
梨畑   北川冬彦 詩 (1965年)
稲刈り   北川冬彦 詩 (1965年)
唐招提寺   竹中郁 詩 (1966年)
思出よ   福永武彦 詩 (1966年)
田園小景 野良   北川冬彦 詩 (1968年)
すすきの穂   福島光子 詩 (1968年)
薔薇   福永武彦 詩 (1973年)
佐藤敏直作曲
味噌汁   北川冬彦 詩 (1968年)
鶴よ、とべ 〜沖縄詩集より〜    永井和子 詩 (1968年)
石井歓作曲
母を恋うる三つの歌
サンゴのかんざし/子守唄/別れ   中田浩一郎 詩 (1966年)
伊藤隆太作曲
胸に刻する銘   大木淳夫 詩 (1966年)
余白にしるす秋   大木淳夫 詩 (1966年)
鞭   大木淳夫 詩 (1966年)
籠   安藤一郎 詩 (1973年)
耳   安藤一郎 詩 (1973年)
覊旅詩抄
猿沢池畔/法隆寺/忘暦   大木淳夫 詩 (1983年)
松葉良作曲
忘れられた季節より(全3曲)
秋に/残陽/早春   松葉良 詩 (1968年)
石井五郎作曲
煙草   〜津軽詩集より〜   一戸謙三 詩 (1968年)
吹雪   〜津軽詩集より〜   高木恭造 詩 (1968年)
夜露   〜津軽詩集より〜   一戸謙三 詩 (1968年)
中村節也作曲
小扇   津村信夫 詩 (1968年)
コバルト山地   別宮賢治 詩 (1968年)
大山トンボ   八木重吉 詩 (1968年)
白い雲   八木重吉 詩 (1968年)
大中恩作曲
「ひかりほのかに」五章   中村千栄子 詩 (1971年)
逢うは別れの   阪田寛夫 詩 (1971年)
下村正彦作曲
会話   峠三吉 詩 (1983年)
神良聰夫作曲
秋の虹   乾直恵 詩 (1983年)
浮き雲   三好達治   (1983年)
浅き春に寄せて   立原道造 詩 (1983年)

共演者、作曲家、詩人から

松浦さんの思い出 安川加寿子(ピアニスト)

昭和40年頃、民音が誕生して間もなく、クラシック音楽の普及にも努力したいというので、器楽に歌も加えた企画が考えられて、ソプラノの松浦律子さんが推薦されました。
ピアノの私と、ヴァイオリンの服部豊子さん、セロの鈴木聰氏、ピアノ伴奏の平尾はるなさん、そして解説者の上野晃氏を加えて、大阪、福岡、京都など9カ所の民音例会で演奏いたしました。
この旅行で松浦さんの堂々たるヴォリュームある風格と、天真爛漫な性格で、至るところたくさんのエピソードを演じながら演奏旅行を続けました。今でもこの旅行の楽しかったことは忘れません。
今回のリサイタルでは、もう古希になられるにもかかわらず、初演曲を探し出して演奏される意欲、そしてオーケストラの伴奏でオペラ・アリアを歌われる精進に驚きました。どうか皆様のご協力で、この演奏会が成功されることを祈っています。

(1993年 松浦律子ソプラノリサイタル〜日本歌曲とオペラの夕べ〜プログラムより)

松浦律子先生と私 福島雄一郎(作曲家)

松浦律子先生と、作品を通してのおつきあいをはじめてから33年になる。おつきあいといっても、私にとっての先生は、声楽家の立場から、私に作曲家としての方向づけと勇気を与えてくださった、忘れることのできない恩人である。
昭和35年。当時の日本の作曲界には、ヨーロッパの再前衛音楽の波が押し寄せていた。音楽ジャーナリズムの影響もあって、時流に乗り遅れまいと、若い作曲家達は新しい技法の習得に明け暮れ、そのため一方では、日本人としての主体性が喪失している時期でもあった。
そんなとき、私の方言詩による歌曲集を初演していただいたのが松浦律子先生である。
これは、私の生まれ故郷(熊本県八代市)の方言に作曲を試みたい、いわば時流に逆らった作品で、都会の人達にはわかりにくい音楽だったと思う。
しかし、同じ九州出身という松浦先生の演奏は見事で、方言の枠を乗り越え、完全に聴衆を魅了したのを覚えている。あれ以来私は、自分自身の作曲の方向に確信と勇気が湧き、同じ道を今もって歩き続けている。
松浦先生がこれまで、日本の歌曲創造に果たされた業績には計り知れないものがある。そのお仕事の末端に、私の作品がおかれちることを幸せに思っている。

今回の啄木のうたも、先生からの委嘱作品で、しかも初演である。先生の尽きることのない音楽魂と情熱に敬意を表するとともに、今後益々のご発展を祈念している。

松浦律子ソプラノリサイタル 〜日本歌曲とオペラ・アリアの夕べ〜

ピアノ:川口耕平
指揮:黒岩英臣
管弦楽:九州交響楽団
1993年2月24日(水) 6時30分開演 福岡銀行本店大ホール
マネジメント:新演奏家協会/福岡文化協会

プログラム

〈日本歌曲〉
石田一郎:しぐれに寄する抒情 佐藤春夫詩
寺内昭:茅崖は 吉田英治詩
川口耕平:すずめ 芝田幸子詩
エニシダ 芝田幸子詩
福島雄二郎:=啄木のうたより=第3集 我を愛する歌(初演) 石川啄木詩
Ⅰ 砂 :いのちなき/頬につたうと/砂山の
Ⅱ さいはての町:さいはての/わかれ来て/世の中の
Ⅲ 終曲:何か、かう、/いつとなく
〈詩の朗読:松田淳作〉
小畑郁男:眠れない街(初演) 玉城喜美子詩
〈オペラ・アリア〉
ヴェルディ:
「仮面舞踏会」より アメリアのアリア「死んでもいいのです」
「ドン・カルロ」より エボーリ姫のアリア「むごい運命よ」
「椿姫」より 第3幕 前奏曲
「マクベス」より マクベス夫人のアリア「光は衰え ともしびは消え」
ウェーバー:
「魔弾の射手」より 序曲/アガーテのアリア「まどろみが近寄るように」